テニスブログ No.3

テニス、卓球、バドミントン等エリア投入型競技の基本ルールについて

       副題 : パワー主義と確率主義

           先頭ブログ:爽やかテニス (sawayakatenisu.blogspot.com)   

これは分かりやすいと思うので送ったメールをそのまま載せております

テニス愛好者の皆様
最近Tコートで毎日テニス初心者のFくんと2人でボランティアテニスをやっているのを皆様ご承知かと思います
そして彼とのプレーと会話を通してテニス、卓球 、バドミントンのルール等について気付きがあったので、ルールを中心にして書きたいと思います
最初この作文のタイトルをルールではなく原則としましたが、よく考えたらそんな高級な言葉は不要な事に気付きました
理由は競技はルールを決め、その中で勝敗を競うものだからです
例えば野球でバッターが打った後一塁ではなく三塁に向かって走る人がいた場合、この人は競技に参加していない事は分かると思います
100m走でスタート後、後ろに向かって走る人も同様です
そこでこの作文ではこれら3つの競技共通の極めて基本的ルールについて書きます

始めにこちらの現在の状況は以下の通りです
私のテニスの第1の目的は頭の訓練になるとっさの運動にあるので、この目的の為には相手が上手い下手はそれほど重要では無く、満足してやれております
2目的の美しい ショットを打つは、たまに来る素晴らしいショットを反対に打ち返せば良いのでこれも十分です
3目的の真の真剣勝負はまだラリーが長く続かず当然達成は無理ですが、彼はまだ若いのでこれからの成長に期待したいと思います
実は一般的にはこれは一番難しい目的で、人が2人でギアを上げて対戦すれば、当然実力差があるので一方的になり、片方が面白く無いと言う問題があります
又会話に於いては2人の年齢差はかなりありますが話題の共通性があり、又彼は比較的主観的視点に左右されにくく、私が最近盛んに強調する客観的視点に基づく理解力があるので、会話が同時に頭の訓練になり、対話によって新たな気付きを発見すると言うメリットもあり、お互いに win-win の関係になれています
そして完全な客観的視点担保には人間なので主観的視点を必ず引きずると言う問題がありますが、ここで登場する考え方が確率論的世界観「情報(意見)とは確率である」で、これで客観的視点が完全では無いという事を担保しているのです(どうだこの論理の展開ー笑い)

まずF君のスポーツの経歴を簡単に述べます
これはあるスポーツが他のスポーツに影響を与える、という事が新聞等で最近話題になっているからです
例えば最近日経に乗った野球のピッチャー(山本由伸等)が槍投げをやっている等です
又私も自分の卓球、バトミントンの経歴がテニスに良い影響を与えているという事を実感しています
彼は小学校時代剣道をやり、ある程度のレベルの高校1年まで野球をやっていました
そこで彼には私も経験がある剣道、及び野球を引き合いに出してテニス等を説明しました
そして運動をやっていたせいか彼の上達速度=dy/dt 、特にサーブは今のところかなり早いです
これは体の使い方等スポーツ には共通項ー投球モーションはサーブに類似等ーがあるという事だと思います
ちなみにこの上達速度の速さは、一般の教育現場などでもそうだとは思いますが、教えていて面白しろさを感じます
又教えるという事は別の頭の使い方をする様で、私にとって新たに発見が多々ありました

ところがグランドストロークに関しては、おそらく皆さんは想像が出来ないと思いますが驚いた事がありました
それは遠い打球を彼は積極的に追いかけない所です
そこでこの状態を私は色々考えてみてそして一つの結論に達しました
それは彼はこれら3スポーツの共通の元になるルールがまだ分かっていないのではないか?
そして競争意識がある人には当たり前の事ですが、彼には元になるルールを敢えて教えなければならないのではないか?
そして色々考えた結果、私の中で今まで漠然と考えていた基になるルールをはっきりと認識しました
そこで結論を最初に書きます
「これら3スポーツの基になるルールは、相手のコートに自分が相手よりも一球でも多く返す=入れる」という誰が考えても誠に陳腐な答えです
この事はあのキング夫人でさえその様な発言を敢えて言っております

それでは何故一球でも多く入れるが基本ルールであるかということを説明します
ここでオリンピックや競技スポーツのモットー「より早くより高くより強く」を引き合いに出します
それは3 競技はより強くを追求する競技で、強くと言う事は相手に勝つと言う意味で、その為には少しでも勝つ確率を上げるゲームだからです
そこでこれはブログにも書きましたが、シングルスをやるにおいて基本的な戦い方を元に説明します
尚段階1.➞5.は守り➞攻めまでの程度、プロセスを表します
1.全く余裕がなく防戦一方の場合
ともかくどこでもいいから相手のコートに返す➞確率を上げる為には基本ルールのともかく入れる
この場合たまたま相手が取れないうっちゃり ショットになる可能性もある
また相手にチャンスボールを提供した場合でも、相手がミスをする可能性もある
2.守りだが少し余裕のある場合
一般的にはゆるくてもいいので出来るだけ深いボールをセンターに返し自分の体制を立て直す➞ニュートラルモードに持って行く様にする
ここで逆襲の素晴らしいボール(パッシングショット等)を打てれば、ナダルやジョコビッチになれます
3.ニュートラルモードで互角の撃ち合いの場合
少しでも余裕があれば今までの打ち合いのパターンを変え(コース、回転、スピード等の変化)積極的に仕掛けて行く。
まず相手の嫌がることをする➞そしてチャンスボールを待つ➞この場合繋ぐでも良いが、勝つ確率を上げる為に相手の嫌がる事をする
4.そしてこちらが攻撃の主導権を握れた場合、
躊躇なく相手を振り回し(特にコース)を追い込んでいく
この4.の場合と次の5.の場合確率的にミスは必ず付き物なので、ショットの確率が許容範囲であれば、ミスを恐れて躊躇してはならない
ここでミスを恐れて打たなで只繋ぐだけだと、Kさんと同じになってしまい、相手に逆襲される機会を与え、勝つ確率が下がる(笑い)
尚これ以下の場合がボレーに出る機会だと言える
5.こちらが全くの攻めの場合
基本はドロップショットも含め相手のいないところ(逆をつく場合もある)へ強打して決めに行く
以上により「真っ先にともかく入れる➞相手にこちらへ入れさせない為に相手の嫌がる事をする」がルールの流れだということが分かると思います

ここで既出客観的視点に関係し余談になりますが、プレイヤーは自分がこの1.5.のプロセスのどこにいるかということを常に冷静に判断して、ここに書いたような行動を取る必要があります
例えばサーブレシーブを例にとるとサーブが良かった場合、5.のこちらが全く責めの場合or4.の先手を仕掛けている場合で、反対にレシーブが良かった場合、2.の逃げなければならない場合、最悪1.に追い込まれる場合もあります
そして自分の状態はプレイ中は常に移動していて、目標は1.➞5.目指さなければならないのですが、途中必ず行ったり来たりはします
又ある状態にいるなら、相手は必ずその反対側の状態にいるという事です
 1.⇔5.2.⇔4.
そしてこの流れを頭に入れておけば、基本的なシングルスの戦い方は分かると思います

ところが周りを見てみるとともかく入れるを本当に理解していない人がいっぱいいる事に気付きます(だから書いているのだ)
例えば私がよくやるが責められた場合等とっさの場合に、当たり損ないの様なネットスレスレのボールやネットインを皆さんが頭に来たり、更に終いにはKさんの様にドロップショットにまで怒ったりする
さすがにドロップショットまで来ると、皆さんもその異常さは分かると思いますが。(笑い)
又以前のK1ちゃんの様に確率の低いイチかバチかの強打を打ったりする
又ラオニッチでもないのに自分の身長も考えず闇雲に強打のフラットサーブを試みようとする人がいる
そしてこれらの根底にある心理は、球技は強打であるという信仰あるいは本能的な無意識が根底にあるのではないか?
そしてこの心理の起源は、血肉踊らせる野球の中の大谷に代表される強打すなわちパワー等にあるのではないか?
またスポーツ全般についてですが「より速く、より高く」というスローガンはこれに近い考え方だと思われます
そこで一応これをパワー主義と名付ける事にしました
又ピッチャーの投球を考えてみると、球速を重視する考え方(しかし大谷だって変化球は投げる)と、投球術(コントロール(コース)>球速の変化=球の回転>打者の心理。重要度順4要素。すなわちこれの本質はホームラン競争のピッチャーでもない限り打者に嫌がる事をすると言う事に尽きる)を重視する考え方が2通りありますが、前者はこれに当たると思います
勿論野球の本質は強打だけではなく、イチローや前述投球術に代表される確率論的考え方があります
そこでこれらを確率主義と名付けます
そして卓球、バドミントンでは余りこのパワー主義は目立たない
その理由は恐らくテニスにサービスエース(これとて高身長者は確率があるから打っているのであるが)があるのに対し、卓球ではスピードの点であり得ず、バドミントンでは逆にサービス側が不利である事、卓球の球、バドミントンのシャトルの質量が小さいため、相手ラケットを圧倒する威力に乏しいからであると考えられます

ここで当たり損ないの様なネットスレスレのボールやネットインについて書きますが、少し言い訳すると私はわざとやっている訳ではなく卓球、バドミントンの経験から得られた反射的行為です
これを説明すると卓球、バトミントンでは高いボールは即スマッシュを打たれる、特にバウンドさせることが無いバドミントンは中途半端の高さは命取りで、その為にはいかにネットスレスレのショットを打つかということがポイントになります。
一方テニスでは高く弾むボールは相手の嫌がるショットとなり、ナダルなんかネットの2m位上を通します
ネットインについては卓球では謝る、バドミントンでは引っ掛けて入れるのが最高のプレイとされます
承知のようにテニスには暗黙のルールはないです
又イチカバチカの強打、フラットサーブは分かると思いますが、何故当たり損ない更にはKさんのドロップショットまで怒る事がパワー主義につながるかと言うと、多分強打、パワーがまともに勝つ為のショットであるという無意識の思い込み、パワー主義信仰が皆様及びKさん中にあって、それ以外のヘナチョコショットで決まるのは馬鹿にされていると無意識センサーが感じてしまうのではないか?
以上これらは無意識の領域の話なので、人間は自分のそれに余り気づいていないと思います
そしてこのパワー主義は私の中にも有ります
私も大谷のパワーにはやはり快感を感じるのです

ここで以前K1ちゃんが試合中に一かバチかのアウトショットを打って、Kさんが喜んでアウトと叫んで手を叩いたシーンを考えてみます
ここで先に述べた通りK1ちゃんは一球でも多く返すという基本ルールに従っいない=テニスの試合に参加していないのに、その人に対しKさんは手を叩いて勝を誇っている
この状況はKさんは、周りで試合を見ていて試合には参加していない観客に対し、手を叩いて勝を誇っているのと同じだという事になります
誠に奇妙な人間関係だとは思いますが、Kさんは大真面目
まあ物事は本人が満足していればそれはそれでいいと言えるのですが(笑い)
最初これを見た時どうも変な気がしたのですが、よくよく考えたらこう言う事だったと言う事です
人間の直感は結構当てになります

ここでパワー主義、確率主義とその他の違いを野球とテニス等で比較してみます
                       野球            テニス等
ボールの打ち込み可能範囲            なし                              相手コート内
主義            パワー主義+確率主義            確率主義

以上より野球打撃はセーフティバント、イチローの様にわざと当たり損ないを打つ=確率主義もあリますが、基本は強打でより速く遠くへ飛ばす事=パワー主義に対し、テニスはともかく入れなければならない=確率主義です
だからルール=ともかく入れる遵守の私のギリギリショットは、実は王道だという事です(笑い)

他にもバッティングとテニスーグランドストロークを比較してみると、異なる点が多々ありそれを比較します
野球の場合有効な範囲はフェアグラウンドということはあリますが、何もそこを狙って打つ人はいないー打たなければならないという事はない
しかしテニスの場合はコート内に打たなければならない
すなわち打つ意味合いが異なる
だからテニスで無茶打ちする人は、ただ単に勘違いしているだけです
野球はバッターボックスから出られないがテニスはどこでも動けるーというよりも 動く必要があります
野球はストライクゾーンしか打つ必要がないが、テニスは選んでいられない
野球は流し打ちのような わざと振り遅れがありますが、テニスは振り遅れるとアウトする可能性が高くなります
野球は3割打てれば記録に残るが、テニスは3割じゃあ相手は何もしなくてもいいという事になります
またホームランを打つ為には打球にバックスピンをかけるのがいいと言われていますが、テニスでは浮き上がってバックアウトしてしまう
野球のラインドライブはあまり評価されませんが、テニスでトップスピンは必要不可欠です                           

以上F君には確率主義の考えを基本として、様々な私のテニスに関する偏見、更にはまだ若いので年長者のボランティア精神を発揮して、その他世の中に対する考え方その他を教授しました
Fさんは考え方等は私が教えると迷いに通じると言っていますが(笑い)
そして目的で上達目標はどの程度かによってやる事は変わって来る事を説明しました
シングルスとダブルスは全く異なっており、「おばさんテニス」等の「仲良しテニス」を目標とするのか又は大会で勝つ事か、前者だったら上手くなリ過ぎると周囲と調和しなくなる事、より上達したいのなら私とやってただけでは駄目で、もっと上手い人とやらなければを告げました

以上彼とやってみて気付いた点が多々あったので、ここに報告することにしました
これらがテニスで何らかの考え方の参考にしていただければ幸いです
なおご承知の事と思いますが、私は確率論的世界観ー情報(意見)とは確率であるーを標榜していますので、自分の意見が正しいと主張する気はさらさらありません
毎度の同じ事を言いますが、全てはご自身の判断にてお願い致します

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