テニスブログ No.5

前衛スポーツ、前衛テニスの勧め ー今はテニスも含めスポーツも変革の時代である 

対戦型スポーツの原点に帰ろう!、そして相手とのネチネチした競争が嫌でその他のスポーツを選択している人達にも「爽やかテニス」の魅力を伝えていこう!

    先頭ブログ:爽やかテニス (sawayakatenisu.blogspot.com)   

これもメールとして送った文をそのまま載せております。


暑い日が続いておりますが再度のメールを発信でお騒がせしております。
私はイノベーター いや正確にはアジテーター(笑い)として生きがいを感じるタイプの人間ですが、スポーツーテニスに関してはそろそろ種が付き欠けて来ているので、最後の仕上げで私の好きな改革のお勧めでそろそろ閉めたいと思いメールをしております。
これは所詮スポーツは身体を動かす領域なので、頭脳を働かせる領域ほど複雑性多様性は無く、種が欠けてくる事はやむを得ない事なのですが。
しかしこれまでの一連の検討によって得られたブログとしてまとめた成果を振り返ってみますと、スポーツ全体がまとめられ、その中でテニスを含め対戦型スポーツの本質及び位置付けがはっきりし、スポーツマンシップは結局美であると解釈出来る、そのスポーツの美についてまとめられた事は大きな収穫でした。
更にテニス等スポーツをやる事で、人間関係も広がり色々な社会の側面に気付かされ、特に人間の心理について分析し、目標である人間理論を進められた事は良かったと思っています。

さて本題に入りますが、近年は他の領域でもそうですが、スポーツでも昔の様な根性論では無く、 科学的手段を利用した理論的な手法が主流になっているのは御承知の事と思います。
事プレイヤーについては身体の科学と測定器などを利用した分析応用等で、科学的トレーニング方法のみならず実践でも昔に比べて遥かに高度な技術が出来る様になって来ております。
例を野球に取ると投球速度のアップ、これはテニスでもやりますが球の回転の状態を科学的に分析する等が挙げられます。
又テニス等あらゆるスポーツで、YouTube等のサイトで多数の一流プレイヤー、コーチの動画付き授業が直接受けられる様になり、合理的な体の使い方等が学べる様になりました。
プレイヤー以外の周辺事項については、野球ではアメリカ3 Aで来年から行われるストライクボールの機械による判定等、又先日NHKクローズアップ現代で取り上げられましたが、A.I .による体操の技の完成度の判定等が放送されておりました。
テニスにおいては前ブログで書きましたが、近いうちにスマホ数台を組み合わせ写真機能を使い今まで問題だったインアウトを判定すると共に、A.I. 利用によってカウントも行い最終の勝ち負けを判断してくれるアプリが出来る事が予想されます。
これで1.我々レベルの正式試合及び2.その辺の草テニスで「ネチネチ試合」をやりたい人は、プレイをすると共にカウントもしなければならないと言う煩わしさから解放されます。
又2050年頃には我々と対戦できるA.I .装着のロボットが出て来ると予想されており、囲碁、将棋同様対人試合の意味を考え直さなければならない時代も来ると考えられます。

最近は我々には悩ましいA.I .等による仕事の業務の改革、教育、学習法の改革等あらゆる面でのパラダイムシフトが起きておりますが、スポーツの世界も同様に変革の時代を迎えております。
我々この変化に対応する為にはしっかり物を考える事が重要で、中でも固定観念=「脳神経回路の経路依存性」にとらわれず自由な発想が求められます。
その為には物事をまず基本に戻って考える事が重要となります。
キリスト教でルターの宗教改革は聖書に戻って出発し、だから基本に戻って考えるのは改革と呼ばれます。
それに対し基本からひっくり返すのは革命で、宗教では「宗教革命」と呼ばれるはずです(笑い)。
それではどう改革したらいいか考えて行きます。
前ブログでも書きましたがスポーツは多数ありそれらは類似性に従い何種類に分類されますが、それぞれが持つ本質は異なっております。
テニス等3競技は相撲、柔道、剣道、ボクシング、レスリング等と同じ対戦型競技に属し、本質は勝負であり勝つか負けるか、相手を打倒するかされるか、切るか切られるかそして切られたらそこで死ぬの世界です。
体操、陸上、競泳の様な基本的に❶.自己との戦いの競技では無く、❷.相手との戦いの世界です。
だからスポーツの本質を外れ、変に勝負にこだわったりスポーツマンシップを忘れたりする輩が生じ易く、美では無い見ていて気持ちが良くない現実が出易いのです。
対戦型スポーツの本質の理想は、勝負が付いたらそこで全て終わり=ノーサイド、それを的確に言い表せているのが「勝敗とは結果である」です。
そしてこれを実現していると考えられるのが「さわやか試合」、すなわちテニス等三競技では1ポイントの追求です。
目の前の対戦を忘れ最終勝敗、総合優劣の「ネチネチ勝敗」に視点が行ってしまうのはこれから外れた行為です。
そこでこれを実現する為に、先行ブログに於いて正式試合のやり方の改革=ゲームセット方式を廃止し、一定時間経過 or 一定点到達終了のタイブレーク式を提案しているのです。
そして「ネチネチ試合」の理想は「爽やか試合」を無心にやり続け→いつ終わった分らない内に終了する→そして終了後結果を見て初めて勝敗を確認する。特に私の場合は日頃の草テニスでは結果の勝ち負けなんかどうでもいい。知りたくも無いです(ただし重要な試合は別ですが)。
そして自動判断してくれるアプリの登場は、その目標に一歩近付けると思います。
ここで幸いな事にこれら3競技は、相撲を除く他の対戦型競技の様に無理に総合的優劣を付けなければならない事が無く、腑に落ちない勝敗の決着が無い事です。
すなわち柔道、剣道、ボクシング、レスリング等は相手を圧倒する1本、ノックアウト、フォール勝では無く、合わせ技、指導、効果、優勢、判定等の訳の分ら無い決着をしなければならない場合もある点です。
剣道では正式試合は旗を持った審判が3人いて、1本の認定は3人の内2人が旗を挙げる事に由って判断されそれはかなり恣意的なものです。
だから相撲も含めこれら3競技は決着がはっきりしていて、最も理想の「さわやか精神」を実現出来る競技なのです。
以上を踏まえて新たにー「さわやか試合」はスポーツ本来の闘争競技の実現である。「ネチネチ試合」は人間の総合的優劣をはっきりさせる試合であるーと定義します。

ところで「さわやか試合」は作戦が無いと言う人がいます。
これに対しては我々は果たして作戦を立ててプレーをするレベルにあるか ? と問いたいと思います。
昔は自分を鏡に写して見る(笑い)今はビデオに撮って見るですが、我々はそもそも作戦を立てる為の基本的なプレーが出来ておらず、作戦の問題ではなく殆どミスで決まっているのに気付くと思います。
それに作戦は1ポイントの中で立てるのが主で、シングルスでは例えばこれは我々殆どの人が出来無いと思いますが、お互いにバックの打ち合いをしている場合、スライスで長いボールと短いボールを打ち分け続け相手の意識がバックに集中した段階で、突然バックでストレートに打つという様なやり方です。
又ダブルスではシングルスの様に作戦の手数そのものが余り有りません。
では複数ポイントに渡って作戦があるかどうかですが、多分これは相手が 劣勢で局面を変えたい様な場合ですが、前のやり方を突然変えて来たら、例えばグランドストロークで打っていたのをボレーに変えたであれば、直ぐに分かるのでそれに対応すればいいだけの事です。
それには色々なケースに対して対応方法を前もって準備していればいいだけの事で、そもそもスポーツ自体高度に頭を使う様な複雑なジャンルでは無く、やれる作戦は限られております。

又「ネチネチ試合」はやる気が起きないという人がいます。
これは前述対戦型のスポーツの本質をしっかり考えれば理解出来る事だと思います。
それは「さわやか試合」の剣道、ボクシング等の武道者でいい加減にやる奴は1人もいない事から明らかで、分ら無い理由として①.「脳神経回路の経路依存性」が抜けない②.後述どうしても「ネチネチ試合」にこだわる人に忖度して=同調圧力そう言わざるを得ないが考えられます。

又「さわやか試合」をやると強打に任せた「デタラメ打ち」を助長させると言う人がいます。
これはブログ爽やかテニス (sawayakatenisu.blogspot.com) 書きましたが3競技の基本ルールは確率の追及で、これは又世の中の全てに言えますがリスクを取る≠デタラメをやると言う事です。
対策としてはやった時に大げさに手を叩いて褒めてあげるか(ホントに褒められたと思う奴がいるかも、笑い)公式試合に出る事です。

ところで再三書いておりますが私のテニスをやる三大目的は重要度順に①.とっさの運動②.美しいテニス③.本来の闘争の実現ですが、③.には「さわやか精神」が最もふさわしい事は既に説明しましたが、②.の実現でも「ネチネチ精神」はふさわしく無く、これは起業家精神等にも言えますが積極的にリスクを取っていく姿勢が必要で、例としてブログではKさんの失敗を恐れた消極的なプレーを取り上げております。
つまりKさんは視点が「ネチネチ勝敗」1点に向かっていた➝失敗のリスクを恐れてプレーが消極的になった➝リスクを取ら無い為上達が無い➝だから試合に勝て無い➝フラストレーションがたまる➝それをバネにして上手くなる方法を考えると言う事が出来無かった➝そして自分を抑えることが出来無い➝だから顰蹙を買う他人に当たるという行為に出た という図式です。
そしてこの一連悪循環フローを「ネチネチ精神呪いのフロー」と名付けることにします。
そしてKさん以外のとらわれ者=サービスで手が縮んでダブルフォールトする人等は「それをバネにして〜」のところでフローが止まっていて、Kさんの様にそれから先に進んでいないので顰蹙を買う事も無いと言う事です。
以上から学べる事は、方法のところで打開策を考える事で、それには③.真の勝負②.美しいテニスという視点を導入する事です(手前味噌だな)。
これはおなじみトッププロ選手の他の選手のどういうプレーに憧れるか=美しいと感じるのはどういうプレーかを挙げた動画ですが、試合中に相手の素晴らしいプレーに手を叩く事から分る様に一流選手は他人の美しいプレーに憧れるという事です。

【海外テニス】歴代最高の必殺技を持つ選手10人 - YouTube

尤も私は上手くはありませんが、かなりの部分出来るプレーもあり、出来た時の喜びは格別です。
すなわち勿論勝つ為に自分が上手くなりたいプレー、憧れているプレー、自分の美学に従うプレーをやればいいのです。
どんなジャンルに於いてもそうですが上達する自分が向上する為には、オタク的でなければならないと言う事だと思います。
この様に対戦相手のあるスポーツの美の追求は、❷.相手との戦いである事は勿論ですが、自分の美の追求と言う❶.自己との戦いでもあり、日頃から出来るだけ❶.を実践しておく事です
そして何故スポーツに限らず一流の人が❶.自己との戦いの境地でなければならないかと言うと、これは誰しもが分る事だと思いますが外界の事象にイチイチ主観的に反応していたらその反応自体が自らのパフォーマンスに悪影響を与えるからなのです。
以上ここまで書けば分かると思いますが、上手くなる為、公式試合等の「ネチネチ試合」で勝つ為には、日頃から「さわやか精神」を鍛えておかなければならないという事です。

私のテニスをやる3大目的は以上ですが、その辺の草テニスを見ていて気付く他の人々の目的は①.仲良しテニス=社交②.私と同じ運動の為等考えられ、これらの目的ならば「ネチネチ試合」よりも「さわやか試合」の方が問題を起さ無い分余程適していると思われるのですが。
ここでも「脳神経回路の経路依存性」にとらわれず良く考えた方が御宜しいかと想われます。

ところで皆様はその辺でやられている草テニスの「ネチネチ試合」を観察していて、Kさんの様に一握りの人が本気になっている中で、付き合いで忖度テニス等をやっている人に気が付か無いでしょうか ?
上手い人はギアを落として適当にやっている、本気になっているのは少し鈍い下手な人だけという事です。
日常その辺の草テニスの「ネチネチ試合」とは、はっきり言わせてもらえば所詮茶番劇にしか過ぎないのです。
そもそもその人のプレーをちょっと観察すれば、毎回毎回草テニス「ネチネチ試合」で総合的優劣を確認しなくてもその人の実力等直ぐに分かります。
スポーツに限らずあらゆるジャンルに於いて個人個人能力差、実力差がある事は当たり前の事であり、日頃「ネチネチ試合」をやって毎回勝ち組、負け組を作る必要等無いのです。
我々は今まで学校、職場など社会のあらゆる場面に於いて、散々競争に晒され屈辱を味わわされて来たではないですか。
まあこれから競争に晒され続けなければならない、そして社会の荒波に対する訓練が必要な(笑い)若い人はともかく、特に我々年配者にとってはどうしてもやらなければならない訳では無い趣味の世界で、今更勝ち組、負け組でも無いだろうという事です。
 むしろ一人一人の技術はそれぞれ上手い、下手の 凸凹があるので、「さわやか試合」においてポイントごとで決まり手=美しいプレーを褒め合う方が余程建設的です。

ところで「負けた屈辱を表すのはKさんだけだ、あれは特殊な例だ」という主張する人がいます。
実際は中間でファジーだがこの様にA か B かどちらか又は多数の中から何か一つにに決めたがる人間の心性を、私は作文に何度も書いておりますが「人間心理の二者他者択一 選好性」と呼んでおります。
しかし私はこの主張は間違いだと思います。
これはもう過去のブログで散々書いておりますが、Kさんの様に自分の気持ちをそのまま率直に出す人は少なく、殆どの人は自分の気持ちを率直に表せない、多分私も含め内心は屈折していると思われます。
例として相手が強くなった場合絶対にやらなくなる人、言葉の端々に恨みつらみの様な事を言う人、言葉では言わなくてもそれとなく態度で分かる人等その辺でいくらでも見かけます。
そしてこう言う事は人間を丹念に観察していれば分かる事で、個々の人間はセンサーの違いが大きいと盛んに私は書いておりますが、相手の状態を感じるか感じ無いかと言う事もセンサーの問題だと思います。
そして自分のところは円満にやっていると言う人たちが多いですが、次の人間の深層心理まで考えれば楽天主義と言えると思います。

それと自己検閲をして自分に気付いていてそれを隠して表に表さない人はまだましですが問題は無自覚の人で、自分は勝敗にこだわっているのにそれが自分には関係無い他人の事の様にみなす人です。
人間には無意識というものがあり、自分は気付か無いそして時に他人の方が気付くという事があるのです。
実は「負けた屈辱〜」言った人が、過去の「ネチネチ試合」でボールのインアウトにこだわったのです。
これは自分がKさんの様な行動を取る事はあり得無い=Kさんに比べてこだわる意識は弱いのでそう言ったと思われますが、弱いだけでこだわり意識はある事はあるのです。
又他にもKさんは特殊だと言っている人がいる様ですが、こういう人の深層心理には自分とKさんを例の様にAとBにはっきり区別したい、軽蔑する対象としてこうはなりたく無いという気持ちが隠されており、これは自己心理の検閲不足です。
又近親憎悪という言葉もあります。

ここで他人の分析批判ばかりで、私を取り上げないと公平を欠くので書きます。
私は自分の勝敗へのこだわりを否定するつもりは無い。自分の中にKさん的なものは存在する。そして油断すると直ぐに「ネチネチ精神」に毒される。➝一旦「ネチネチ試合」を始めるとやはり最終決着は気になる➝気にし始めるとプレッシャーに弱いので「呪いのフロー」によって大胆さが失われる➝そして重要な③.試合の本質の闘争精神が失われる②.美しいテニスをやるには不向きだ。更に①.とっさの運動をやるのが目的で変な精神に巻き込まれたく無い。練習だけでも目的は達せられる。今はテニスだけではなく脳梗塞リハビリの人にもコートに来て一緒に運動する事を呼びかけており、やり方を工夫すればお互いにとっさの運動は出来る➝総括すると「ネチネチ勝敗」1点凝視ではなく①.②.③.多面的視点で行きたい。「ネチネチ精神」では無く「さわやか精神」でテニスをやりたい。「呪いのフロー」にはとらわれたくない。➝その為には日頃から「さわやかテニス」をやって「爽やか精神」を習慣付ける事だ→そして公式試合に於いても「爽やか精神」を保てる様にする。(相撲力士が強調する一戦一戦に集中する、練習以上の事は試合では出せない)
又草テニスの様なところで勝っても嬉しくない。Kさんの様にたまに勝った時に喜びを隠しきれないなんて事は考えられ無い。負けた相手の恨みつらみ等聞きたく無い➝負ければ人並みに面白くない➝だったら「ネチネチ試合」は正直言って毎回ギアを上げてやるのもしんどいし第一楽しく無い、それなりに覚悟を決めてやれる公式試合でやればいい と言う事です。

それでは全員が勝敗にこだわっている=他人と優劣を比較したがると言われると思いますが正にその通りで、正確には人間は自閉症の人でもない限り全ての人が他人との関係が気になる、そしてそれが対戦型試合をする直接的動機の一つです。
ブログでネチネチ度、さわやか度を書いておりますが、実際はそれの強いか弱いかの程度問題で、勿論勝てる人としかやらない人、Kさんは強いことは分かりますが、問題は口には出さ無い多くの人々です。
これは誰でも知っている事ですが、黙って口に出さない人ほど内心は強烈です。

以上からまとめの成果としてこの文章の最初に取り上げた私の人間理論の結論を出したいと思います。
そしてここまで書いてもどうしても日頃の草テニスで「ネチネチ試合」にこだわりたいと考える人の私が考える人物像は以下2つです。
①.どんなつまらない場面でもいつも他人に優越感を感じたい=マウントを取りたい
②.新しいやり方には引かれるが、他人①.人等に忖度して=同調圧力に屈してなかなか一歩が踏み切れない
尚私の呼びかけは当然①.の人を満足、納得させることは出来ず、②.の人が対象です。
又全体を通して恐らく私のの意見については反論がある人はいると思うので、是非それを聞かせていただければ有り難いです。
この場合主観的反応ではこちらは対処の仕様が無いので、客観的意見=人間間で理解可能な共通言語=論理的な説明をお願い出来ればと思います。
ともかく今はスポーツに限らず全てが変革の時代で、これに対応する為には我々は前述「脳神経回路の経路依存性」にとらわれず視点を広く取り基本から考えて考え抜き=ネチネチと考え、他者の意見を虚心坦懐に取り入れて修正し自分の考えをしっかり確立する以外他に方法は無いと考えられます。


これはブログに登場したKさんのその後を友人に報告したメールです。                

暑い日が続いており大変ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。
実は本日私のテニスブログに書いたKさんに4年ぶりに会って来ました。
行く3日前に予約の電話したら火金はデイサービスで本日となった訳です。
Kさんについては2020年の3月にTコート においてプレー中に討ち死にをした事件は皆様ご承知だと思います。
事件以来観音様Mちゃんとは何度か接触があったそうですが、私にとって今回が初めての訪問となりました。
Kさんとは長い付き合いであり皆様もそうだと思いますが気になっていたからです。
彼の状態については皆さんもある程度知っていると思いますが、Mちゃんその他の人の伝聞や又私も年始の挨拶で直接彼と電話で話したりした事である程度は分かっておりました。
しかしイメージとしては私は事件現場に立ち会っておらず、元気にピンピンしていたKさんしか知らないので今回直接彼を見て衝撃を受けました。
具体的には左足が麻痺と言う事で、杖が無くても歩け無い事は無いが、転倒が怖いので杖をついていると言う事でした。
その他社会情勢やかつての会社を取り巻く状況等を話をしましたが、頭の方は全く正常でボケなど微塵も感じられませんでした。
脳梗塞は自分の体質を考えれば決して他人事では無い、私も引き続き毎日今の様な「さわやかテニス」等の運動の重要性を再確認した次第です。

Kさんの状況については以上ですが、今回の訪問のもう一つの目的はKさんの事をブログにあそこまで書いていて、個人的な恨みで書いているのではないかと勘ぐられるのを、我々が蜜月関係にあるという事を証明する為でもあります(嫌味だな)。
私はKさんに生前「批判は本人が知らなければくしゃみをする程度で何も問題がない」と言った事がありましたが、ネットも持ってないこんな機会位しか接点がある訳でないで、ブログの内容は絶対に彼に伝わらないので相手を傷つける恐れは無いのです。
だから皆様一時が万事で裏で私の批判は大いにしていただいて、もし出来れば直接聞かせてももらえば謙虚に聞きますので大歓迎です(笑い)。
実はKさんと私の関係は主役と脇役の関係で、Kさんがテニスコートで「ネチネチ試合」中に本懐を果たし壮絶な討ち死にをするという主役を演じ(ヤタローの理想だな)、そして彼の1点凝視視点のただ「ネチネチ勝敗」に勝つ事という姿勢を反面教師として、これは結局視点の問題であり「さわやか試合」が②美しいテニス追及には最適であり③真の対決型スポーツの原点である=理想の「勝敗とは結果である」を実現出来るスポーツであると言う視点を私が悟ると言う筋書きの役割の関係です。
だからもっと早く私がこれらが視点の問題であると言う事に気付いて、Kさんに遠慮せずにはっきり言っていれば=「さわやか試合」を説得力を持って強力に主張していれば、Kさんは顰蹙を買わず哀れな姿を晒さずに済んだのにと悔やんでいます。

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